私の戦後70年が終わった

e0074955_22385877.jpg


e0074955_22393011.jpg

e0074955_22395928.jpg
































   改葬のお知らせ
    2015年5月16日(土) 午後1時30分
 御会食 2時から

   ご無沙汰しております
  折しも戦後70年を迎える年に、 私の戦後も閉じることが出来ること
  ほんとうに有難うございます。まだ動ける内にと、私の勝手な願いを
  助けて頂いた○美さん、★寺さん、また改葬の日にはお忙しい中大勢の 
  方に来て頂けることに、心から感謝致しております。

    父は新天地での活躍を夢見て満鉄(国策会社)の大学を優秀な成績で卒業し、
  山脇女学院を卒業したばかりの母を呼び寄せました。満鉄社員になり、終戦時は
  撫順炭鉱の所長でした。

      社宅前 運転手さん・ねいや・ボーイさん2人 まだ私と妹は生まれていない
e0074955_49846.jpg
 


      昭和17年だろうか 私と妹が写っている

e0074955_22445283.jpg





   敗戦後ロシア人に日本人の技術を教えるために社宅はソ連の将校の宿舎でもありました。
  ロシア軍の下級兵士は靴下も履いてないと、遊んでもらった兄たちは驚いていました。
 
   日本の関東軍等との交錯の内に満鉄病院長と共に行方不明になり、政府からは勲章と骨箱
  が来ましたが、母は見向きもしない様子でした。
   民間軍人でもあった父は、母が”この戦争は負ける”と言うと、”お前は国賊だ”と憤怒し
  ロシア将校にラブレターをもらった時は”売国奴”と怒ったと母は苦笑していました。

    父なき後6人の子を連れて郷里に引き揚げたの母の苦労は如何ばかりであったか、
  子供達も何不自由ない暮らしからの変動に必死でした。  
   長兄は予科練を経て東京におりましたが、境遇の変化に耐えられなかったのでしょう
  亡くなりました。
   
    一本しかないぼろ傘で小学校まで送ってから自分の学校へ行った兄の事ははっきり
  覚えています。学校に収めるお金が無く、忘れたと嘘の連続、事情を知る先生は
  ”お前は忘れ物の名人だな”と、痩せていた私のためにリンゴやブドウを持って来てくれた
  こともありました。

   海と空の広がるここで、せめて心安らかにいて欲しく、又私もたまに遊びに来られる近さが
   嬉しく思っています。

         お洒落大好きな母でした、どうぞ平服でいらして下さい。


              2015・04.05 K○○○○


   前年亡くなった若い友人のご命日に浦安墓地公園にお参りしたご縁で 
   改葬許可も頂きほぼ半年の間考えてきたことがすべてこの日に終わった

   読経の代わりにライオンデイでご縁のできたF先生に
   バイオリンを弾いて頂くことも快諾を頂いた

    兄に”海ゆかば”
    母に昔良く歌っていた”ジョスランの子守歌”
    故郷に帰ることが出来なかった父に”故郷を離るる歌”
    おまけにバッハ”無伴奏”

   小さい子供達も多くあまり厳粛とはいかなかったが 満足した

e0074955_6191145.jpg



   
   不思議なことにこの日から気持ちが凄く落ち着いたと感じる 
   やはり気になっていたのだろうか
   Seeing you soon!
   子供たちは縁起が悪いんじゃない?と言うが私の気持ちにはぴったりだ

   日曜にはmyジャガーで行ける近さが嬉しい016.gif
   早朝に行けたらもっと良いのだけれど・・・







にほんブログ村 デザインブログ ユニバーサルデザインへ

にほんブログ村 イラストブログ 絵手紙へ

Commented by ei5184 at 2015-06-27 05:25
ご家族の集合写真は、随分以前に拝見していましたが、
私まで何だか懐かしくなってきました(笑)

muiさん、よかったですね。皆様きっと大喜びでしょう!
Commented by aamui at 2015-06-27 06:38
★eiさん お早うございます やりたいことはなんかむずむずして困ります 兄とその息子が亡くなると言う不幸から ばたばたと走りました 心の声を聞きながら行こうと思います
Commented by tamayam2 at 2015-06-27 07:18
いい追悼の文章ですね。この当時は、日本は、貧しく、みんな同じような状況でした。
その頃の父母の苦労を忘れたくはないわね。
いいお墓ができて本当によかった!
Commented by o-rudohime at 2015-06-27 09:06
素敵な言葉の墓石だと思うわ,muiさんらしい。
近くにあればいつでもお参りに行けるからいいですね。
実家にはお墓が4基もありいとこにお守りをしてもらっています。
Commented by aamui at 2015-06-28 07:39
★まやさん お早うございます 貴女のアドヴァイスを頂き重みが出ました 本当に貴重なご意見有難うございました これからもどうぞ宜しくお願い致します<m(__)m>
Commented by aamui at 2015-06-28 07:42
★Jさん 旅行を楽しんでいますね(^^♪ 私らしいと言うかもう初めから独断独走で行くしかありませんでした でも皆近くなって良かったと言ってくれました 公園が広いので孫と遊びながら行けそうです
Commented by arak_okano at 2015-06-28 14:06
終戦時にご苦労されましたね、ご家族のご苦労に頭が下がるばかりです。
戦争の経験は語り継がねばなりません、親の経験もです。
今の政府は、戦争へ向かっています、若者は、学校でもスポーツでも、日の丸&君が代=万歳の教育を受けています。
もちろん、国旗も国歌も大切ですが、それが戦争でどう使われたかを伝えなければいけないと思います。
アラックの父は最期の兵隊で大陸へ行き、シベリア抑留さてました。
母は樺太で終戦を迎えました。
そんな母も、金曜日の夜に永眠しました。
苦労した父母に育てられて甘えてきたアラック、
今出来ることは、憲法9条を改正しないで、内閣の解釈で自由に出来ることに反対することです。
でも、総選挙はないですね。
Commented by トコおばさん at 2015-06-28 21:35 x
muiさん
あなた様のblogを拝見して・・・胸が痛くなりました。
戦争のため、お母様御兄弟、予想もしてなかった苦難の道を歩まれたのですね。・・満州で恵まれた幸せなご一家の生活が続くと信じておられたでしょうに・・・。
この度のお墓のことは良いことをなさいましたね・・・あなた様も心の平安を得られたこととお察しいたします。
人は死んでも、誰かが覚えていてくれてる間は・・まだ生きていることです。
Commented by aamui at 2015-06-29 05:41
★アラックさん お早うございます 
雪崩れ込んでいった戦争 私はその予感を感じることが出来るだろうか?
多くの戦争をやめるポイントはあったにもかかわらず 広島沖縄の悲劇まで行った そのことに人間の怖さを感じます 自分は如何なの?どうすべきなの?
Commented by aamui at 2015-06-29 05:46
★トコおばさん 有難うございます
今この時期に収めることが出来たことに感謝しています 
世界中に戦火の中逃げ惑う生活しか知らない子供たちがいっぱいいることに悔しく悲しい思いがします
Commented by kanmyougama at 2015-06-29 18:49 x
aamuiさんの戦後、それぞれの戦後、胸にしみます。
某らは鹿児島から奄美から台湾へと…南下していましたね。
Commented by greenkatastumuri at 2015-06-29 22:58
初めまして!
ブログを拝見して、ご家族の日々が戦中・戦後の歴史の一頁だと感じました。
私自身は、還暦を過ぎたところですから、戦争そのものは知りません。ただ、子どもの頃に母から空襲の怖さ・すいとんも実際に食べさせられたりしました。
語り継ぐ大切を、あらためて思います。
これからも、どうぞお元気でと、願っております。
Commented by aamui at 2015-07-01 18:53
★kanmyougamさん 今晩は 先生も引き揚げでしたのね 多くの人夫々のの戦後70年ですね
Commented by aamui at 2015-07-01 19:05
★greenkatatumuriさん コメント有難うございます 4人の兄はそれぞれ好きな仕事に打ち込みバブル期を満喫し 今は下の医者の兄と私妹の3人だけになりました 今を大切に行きたいと思います
名前
URL
画像認証
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by aamui | 2015-06-26 22:54 | 子孫達へ | Comments(14)

手紙は見えない相手との会話です 手紙大好き もっと手紙を描こうよ★HPはケセラセラです


by mui
プロフィールを見る
通知を受け取る